体罰はいらない!絶対!

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僕は、子供に「教育」と称して体罰をすることはない。

それは、とてもとてもレベルの低い原始的なコミュニケーション方法だからだ。

いまだに「体罰は是が非か」という議論が出ること自体意味が分からない。

ただ、不機嫌をあらわにして大きな声で怒ることはある。これは自分のレベルが低さによるもので、まだまだ修行が必要だ。

子供は、大人の思い通りには動かないし、なぜかやってほしくないことをやるものだ。

でも、「やっばり体罰が必要かも?」と思ったことは一度もない。

それは、僕の人生に体罰がほとんどなかったことが影響しているのかもしれない。

体罰なしで育ってきた

僕は、35年間生きてきて、両親に一度も手を上げられたことがない。

それでも、一般常識を持った大人に育っているし、感謝をしている。もっと厳しく体罰をしてくれたらよかったのに、と思ったことなんか一度もない。

とはいえ、怒られることのないいい子だったわけではなく、怒られるべきことをたくさんして、両親から「言葉で」たくさん怒られた。

言葉だけで怒られたことが印象に残っていて、今でも「教訓」として活きているものもある。

人は言葉で分かり合える生き物なのだから。

体罰に感謝なんかない

そんな僕も、一度だけ手を上げられた経験がある。

高校生の頃、「倫理の先生」に黒板消しで頭を叩かれた。「倫理の先生」に。大事だから2回言った。(実によく手を上げる「倫理の先生」だった)

黒板消しで叩かれることは、それほど痛くはないが、みんなの見ている前で教室の前に出されて、黒板消しで叩かれて頭が白くなるのは、とても屈辱だ。

今思えば、「殴ったね。親父にもぶたれたことないのに!」というべきだったかもしれない。

その先生に対してまったく感謝の気持ちはない。むしろ、人間の小ささを哀れに思っている。

だって、授業中に髪をいじっていたという理由で叩かれて、一体何をどう感謝すればいいのだろう。

体罰を容認する声に、「感謝」という言葉が出てくることに、とてつもない気持ち悪さを感じる。

せいぜい「自分も体罰を受けてきたんだから他の人もそうあるべき」くらいの浅はかなものだろう。

そろそろ体罰以外のコミュニケーション方法を持つべき

「教育」と「体罰」の間には、はっきりと超えてはならない線を引いておくべきだ。

「体罰」は「教育」ではない。それ以外のコミュニケーション方法を放棄した、人間としての怠慢に過ぎない。

体罰容認派の人に対して、僕が「体罰をやめろ!」と体罰を加えたら、考えを改めてくれるのだろうか?おそらくそれでは変えられないだろう。

いつまでも「体罰は是が非か」という話しをしているから、それ以外のコミュニケーション方法を考えられないのだ。

きっぱりと体罰に「No」を掲げ、人間らしいコミュニケーション方法に頭を向けよう。

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